lost 09 闇夜の来訪者 3

沙智はすぐに先ほどと同様に大木の陰に隠れ、敵が行くのを待つ。
だが、強と同様に相手はなかなか進んではくれなかった。それどころか、音はどんどん沙智のほうへ向かってくる。相手は前から来ているようだ。沙智はすぐに大木の反対側へ移動した。だが、この大木だけでは自分の体を隠しきれるはずがない。最悪、また戦いを強いられるだろう。
音は近くなっている。先ほどの強と比べれば歩みは速いほうだ。
緊張が走る。
沙智は無意識のうちに数分前のあの体験を思い出していた。敵が近づいてきて、かつてない緊張に襲われたあの時。クラスメートにいきなり襲われたあの恐怖。もう2度と味わいたくはない悪夢は、またやってこようとしている。
音は一方に方向を変えない。
沙智はトンファ―を構える。それを握る手も湿っていて、気がつけば、体中から汗が吹き出ている。
女子なら説得するが、男子なら少しばかり警戒が必要だ。強と同様に相手が沙智を女子だからと甘く見て襲い掛かってくるかもしれない。
本当なら逃げたほうが無難だが、今逃げても追いかけられる可能性が高い。
音が、すぐ目の前まで迫っている。
がさ、と音がした後、だいぶ遠くにある草の塊からうっすらと動く影が見えた。影はどんどんこちらへ近づいてくる。
沙智は目を凝らして相手を誰だか特定しようとしたが、相手は暗闇に紛れてしまい、誰だかわからない。相手はどうやらまだ沙智には気がついていないらしく、先ほどと同様に慎重な歩みを進めている。
相手が沙智との距離を5メ―トルほどまで縮めると、相手も沙智に気がついたようで歩みを止めた。
お互いが立ち止まり、数秒。
相手もどうやら沙智のことを認識していないようで、沙智も相手もお互いを特定しようとにらみつけている。
「だっ……誰?」
沙智は相手に尋ねた。まだ思考が正常に働いている人なら、何かしらの返事が返ってくるはずだろう。
「……俺だ、宮原」
返事が返ってきた。
たった一言で見えない相手を沙智だと見破った相手――その相手の声は聞き覚えがあった。
この島に入る前に最後に話した人物。バスの中で友達が寝ていたため、周りに邪魔されることなく話せたあの時のことは沙智の脳裏に鮮明に刻まれていた。
その相手と同様に、沙智も相手の一言でその人物を特定することが出来た。沙智の思考の中では、思い当たる人物はたった1人しかいない。
「真也……君?」
そう言って沙智は、無意識にポケットの懐中電灯へ手を伸ばした。
懐中電灯を影へ向けると、うっすらと真也の姿が浮かび上がった。思わぬ遭遇に驚いたまま時が止まったようにお互い有無を言わなくなった。そして、しばしの沈黙が続いた後、ようやく沙智がはじめに聞くべきことを聞いた。
「真也君、なんでここに……?」
「……俺は偶然ここにたどりついただけだ……お前こそ、こんなところで何やってるんだ?」
今度は逆に、真也に質問された。
「え……私はただずっと歩き回って、それから――」
沙智は、暗闇と同化してしまい見えなくなっている強の存在を思い出した。気絶させてから5分以上経過している。強の精神力ならそろそろ意識を取り戻して起き上がってきてもおかしくない。こんな場所で真也と話している場合ではないのだ。
「それから……どうしたんだ?」
突然沙智が言葉を切ったため、真也が続きを喋るよう促した。
「真也君、今ここ危ないの。私のことは後で詳しく話すから今はここから逃げよう!」
「何でここが危ないんだ?何もないじゃねえか」
真也があたりを見回したが、強の姿が見つからなかったらしく沙智が何を言っているのか理解できていない顔をしている。
「後で説明するから、早く来て!」
沙智は強い口調でそういうと、強が倒れている方向とは逆に、真也がたった今歩いてきた方向へと歩き始めた。
「お、おい……ちょっと待てよ」
急ぎ足で進んでいく沙智の背中を真也が追った。
真也が声をかけても、沙智は一向に歩みの速度を落とすことなく歩き続け、真也は沙智の背中を追うので精一杯だった。


どれくらい歩いただろうか。急な坂道を登ったために沙智の足は疲れきっていた。ただでさえ疲れていた体なのに、よくここまで歩いたものだと自分でも思う。
後ろでは、沙智に追いつこうと必死に歩き続けていた真也が息を切らしていた。
「宮原……で、一体どうしてあそこから離れたんだ?」
息を切らしながらも真也は沙智に問う。
「ごめんね? かなり歩いたから疲れたでしょ。そこに座って話してあげるよ。私、プログラム始まってからいろいろあったんだ」
そう言って沙智は近くの木を指差した。2人は自分のデイパックを置き、木の根元に座る。
「――で、何があったんだ?最初から話してくれ」
一息ついたところで真也が口を開いた。
「うん。じゃあ私が話したら真也君も話してね?」
「……大したことはなかったから聞いてもつまらないぞ」
真也はそう言ったが、沙智に出会うまでに少なくとも少しは何かあったはずだ。沙智はそう思った。そして、口を開く。
「それでもいいよ。じゃあ、私の話を始めるね。
私が教室から出る前――ちょうど私が藤嶺に呼ばれようとしたときに、凛が恐怖に耐え切れなくなって発狂しちゃったの。で、藤嶺が変な箱をスーツから出してきて、凛に巻かれている首輪が爆発して……死んじゃったの……。今思えばあれ、起爆装置だったみたい」
沙智は悲しそうな表情を浮かべながら一度言葉を切った。
「ちょっと待て。それってクラスメートが1人死んだってことか?」
真也はその事実を知らなかっただけに驚きが大きかったようだ。クラスメートが死んだという事実を聞かされたのだから、驚かないほうがおかしいだろう。
「そうだよ……。でね、その後に遥がショックでパニック起こしちゃって、藤嶺は遥を見逃してくれたんだけど、それで私が教室を出るのが5分くらい遅れちゃったんだよね。
で、教室を出て、学校を出た後すぐにこの林の中に入ったの。校庭にいたら次の人が出てきて襲われるかもしれないから危ないでしょ。しばらく禁止エリアを出るくらいまで歩いて、1本の大きな大木を見つけたから今晩はそこにいることを決めたの。しばらくいろいろ考えてたら、加島君が現れて、襲われたの」
「加島……ゲームに乗っちまったのか……?」
「うん。見た感じそうだった。でね、戦ってたのは数分くらいだったんだけど、私の武器がトンファーで、加島君の武器がナイフだったから私が不利だったの。結局私が加島君の後頭部を殴って気絶させてどうにかそこは終わったんだ。で、その後に加島君と戦った現場に真也君が来て、今に至るの……」
沙智は強のことを思い出し、再び罪悪感を感じる。
「じゃあ、あそこには俺たち以外に加島がいたって言うのか……?」
「うん。気絶してたけどね。もしかしたら意識を取り戻して起き上がってくるかもしれないから逃げてきたの。また襲われたりしたら大変だからね。もう勝てる自信ないし――……これで終わりなの。じゃあ、真也君話してくれる?」
沙智が言うと、真也がうなずいた。
「俺は教室を出た後、宮原と同じで林に入ったんだ。みんな林に行ったと思ったんだけどさ、こんなに広いから誰にも会わないと思ったんだよ。
1箇所に留まっているのはなんとなく嫌だったし、うっかり眠ったりしちまったらまずいだろ? だから今晩は歩き回ることにしたんだ。眠気覚ましにもなるしな。多分30分くらいは歩き回ったと思うんだよな。同じところをぐるぐる回ってたかもしれないし、まっすぐ歩き続けたかも今となっては分からない。
宮原と会ったのは偶然だったんだよ。たまたまあのあたりをうろついてたら誰かの影が見えてさ、それで近づいてみたら宮原が声をかけてきたんだ。だから答えた。で、その後ずっと宮原についてきて、ここに来たってところだな」
真也の行動は最初に本人が言ったとおり特に変わったことはなかった。誰にも襲われず、ただ林の中を歩いてきただけらしい。沙智に降り注いだ事件と真也の今までの出来事とでは天と地ほど差があった。
沙智は緊張が心臓を鷲みにするほどの状況を2度も経験してきた。強に襲われ、1歩間違えば絶命するような体験もした。それに比べて真也は教室を出てから今に至るまで人1人にも会わず、ここまでやってきた。やはりこの状況でも運は必要なのだろうか、と沙智は思った。
「……宮原、お前ずっとそれ持ってるけど、それがトンファ―?」
沈黙が続いた後、真也が突然沙智の手を指差してそう言った。
「うん。これで加島君を気絶させちゃったからこれ見ると思い出しちゃうんだよね」
沙智は苦笑いに似た表情を浮かべながら言葉を返した。
「へえ……こんなもので加島を倒したんだ。すごいな。ナイフと戦ったんだろ?こんなもん使えるんだし宮原って何か習ってるのか?」
真也が興味深そうに聞いてきた。
「あ――……うん。空手を……」
沙智が恥ずかしそうに言う。
「え? 空手やってたのかよ。全然知らなかった……」
「うん。恥ずかしいから言わなかったの。女が空手やってるなんて言ったら男子とか引くでしょ?」
沙智は言った。
沙智は小学校1年生の時から空手をやっていたが、その時から今に至るまで誰にも自分が空手をやっているという事実を話したことがなかった。もちろん、裕香たちにもだ。
中学に入っても特に人に習い事を聞かれることもなく過ごしたため、誰にも言っていなかった。特に小学校の頃から男子には言わないように気をつけていたため、このことを知ったのは男子では真也が初めてだろう。
「あのさ、宮原って空手どれくらい強いの?」
「えっと……一応2段……」
沙智がぼそっと言うと、真也が目を丸くして沙智を見た。
「……まじかよ。すげ―じゃん」
真也が驚きの声で言う。
「うん……ありがとう」
沙智が言ったのを最後に、また2人に沈黙が訪れる。
聞こえるのは自分の息遣いの音だけだ。風もない夜のため、それ以外の音は耳に入ってこない。隣にいるのは沙智が好意を寄せている相手だ。何かしていないととても間が持たない。
「真也君」
「ん? 何……」
沙智は間が持たなくなりとっさに真也に話しかけたが、何を言っていいか分からずに言葉に困る。
「えっと……」
頭の中で必死に言葉を探すが、真也は沙智が何を言いたいのか理解することが出来るはずもなく、奇妙な顔をする。
「何だ? 宮原」
「えっと……真也君の……」
「俺の、何?」
「真也君の……」
あと1歩なのに、言葉が出てこない。
「何だよ。そんなに変なこと聞きたいのか?」
「え……違うよ……私は真也君の……支給武器を聞きたかったの」
沙智はすぐさまそう言った。たまたま目に入った自分のトンファーのおかげでどうにか言葉が成り立ったことに安堵する。
あれだけの溜めの後、あっけなく出てきた沙智の言葉に真也はきょとんとした。その後、すぐに自らのデイパックを開いて手を入れ、中を探り始める。
少し経った後、中から真也の武器らしきものが現れる。
「俺の武器は……これだ」
そう言って武器と一緒に取り出した懐中電灯で武器を照らしだした。
「え……? それって――……」
「ボウガン」
「へえ。結構当たりじゃない。私のトンファ―って使い方知らない人とか困るからね」
沙智はそう言って自分のトンファ―を指差した。
ボウガンとは違い、沙智のトンファ―は今の時代、使い方を知っている人は少ないだろう。沙智はたまたま空手で少しだけ習ったことがあり、それで知っていただけだ。使い方を知らない人が支給されたらそうとう困るはずだろう。
「ねえ、真也君」
「何?」
「外れ武器ってどんな武器なのかなぁ……。藤嶺が言ってたじゃない? 支給武器には当たりもあればはずれもあるって。私のも真也君のもはずれとは言えないじゃない? 私のトンファ―は多分普通レベルなんだろうけど、これ以下のものって他に何があると思う?」
沙智が聞いた後、真也が数秒考え込む。
「う―ん……やっぱりさ、プログラムって状況だし人を傷つけられないものとかじゃないのか? 銃もナイフもトンファ―も人を傷つけられるから“当たり”の枠に入るだろ?
だから、はずれって言うのは人を傷つけられないもの……例えば――スプ―ンとかさ」
真也の考えは納得のいくものだった。
確かにこの“プログラム”という状況の中だ。生き残りたいと考え、戦う者が出てくるとなると人間を殺傷できるものが必要となってくる。銃器類やナイフなど、人を殺傷できるものは様々だが、その条件を満たしたものが当たり武器となり、満たしていないものがはずれ武器となるのだろう。
普段、運動ばかりで勉強などほとんどせず、夏休みの宿題を友達に手伝ってもらっていると噂が立っている真也だが、案外頭がいいのかもしれない。沙智はそう思った。
「真也君……すごいね。そんな考えできるなんて」
「そうか?普通に思っただけなんだけどな」
真也は沙智に誉められたことに少し驚きながらも答えた。まさか自分が他人に誉められるなんて思っていなかった。国語の作文や意見文などほとんど出来ないに等しい真也が、まさか誉められたりするなど考えたこともなかった。それくらい、真也は勉強が嫌いだ。
……先ほどの会話を最後に、言葉が切れた。
沙智は困った。先ほどから言葉が切れるたびに何かてきとうなことを聞いて会話を繋いでいたが、そろそろ疑問も尽きてくる。
ふと、裕香たちのことを思い出した。
真也に会えた喜びで頭の隅に追いやられていたが、沙智には裕香たちを探すという目的があった。それはまだ真也に話していない。だが、話したところで真也が協力してくれるとは限らない。最悪、ここで別れなくてはならなくなるかもしれない。
死ぬかもしれないこの状況で真也に会えたのは奇跡だろう。それでもまだ沙智には会いたい人がいるのだ。真也に会えたことは嬉しい。でも、それ以上に会いたい人がいる。
――真也君には、言ったほうがいいよね。一緒にいるんだし、言わなきゃ……
沙智は、真也に自らの目的を話す決意をした。
「……真也君」
「何?」
「私ね、会いたい人がいるの」



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