lost 20 夜闇下の僅かな希望 3

「次、竹中杏さん!」
藤嶺の鋭い声が杏を呼ぶ。杏は黙って立ち上がると、うつむいたまま床の木目だけを見つめて藤嶺のもとまで歩いてきた。
「はいどうぞ。頑張ってくださいね」
そう優しく声をかける藤嶺に対し、もぎ取るようにデイパックを受け取ると一目散に教室を後にする。仮にも政府の役人である藤嶺にあんな態度をとってしまったので、気を悪くして殺されるのではないかと焦っていたからだ。だが、藤嶺が追いかけてくる気配がないため特に心配は要らないようだ。本当のプログラムが開始され、早くも1度目の安心感が杏の精神を満たした。
……だが、安堵は一瞬で消えてしまう。
この校舎は誰かが使っていたとは思えないほどぼろぼろで、床がところどころ小さく抜けてしまっている。その小さなくぼみに、杏の小さな足が入り込んでしまったのだ。
当然のように、重力に任せて杏は床に身を打ち付ける。
「きゃっ!」
膝を最初に地面に打ちつけ、次に上半身を強くたたきつけた。顔をぶつけることはなかったが、じわじわと打ちつけた部分から痛みが広がっていく。
「……痛……」
開始早々の運の悪さに涙がにじんでくる。この先もっと大きな災難――クラスメートに殺されるかもしれないという余計な妄想まで頭をよぎり、早くも恐怖に押しつぶされそうになる。
だが、泣いている場合ではない。
2分間隔でクラスメートが外に出されるため、もたもたしていると2人、3人などあっという間に出てきてしまう。早くどこかへ逃げなければ、妄想は現実へと変わってしまうのだ。
「っ……!」
立ち上がり、一番強く打った部分である左足の膝を見ると、多量の血がにじんでいた。
怪我を発見してから痛みが走る、ということは多いが、杏の場合転んだ当初からの痛みに加え、膝の出血量を見た瞬間ますます痛みが増してきた。怪我は出血を認知すると余計に痛くなるというが、これは本当のようだ。 左足を引きずりながら廊下を歩く。怪我の手当てよりも、何よりもまず先に逃げなければならない。学校を出ると、新鮮な夜風が杏をなでる。傷口に空気が触れ、ますます痛む。
桜木第三中よりもずっと狭い校庭の周りを、木々がずらっと並んでいる。これでは右も左もわからない。
本当にここは人が使っていたのだろうか、と少し疑問に思う。このような場所に学校が建っていることなど普通に考えてまずありえない。もしかしたら、この島そのものがプログラムのために創られた“人工の島”なのかもしれない。
一瞬思考の波をただよった杏だが、すぐ我に返り、どこへ逃げるか考える。
だが、どこを見渡しても木々が折り重なるように視界を阻んでいるため、林の先に何があるのか全くわからない。この林自体、そうとう長く続いているようだ。
膝をかばいながら、直感的に左に進む。ただでさえ時間のロスが多かったため、次の人が出てきてしまう。次の人は確か――……
今まで自分が逃げることしか頭になかった杏は、初めて次に出てくる人のことを考えた。だが、3年に上がった最初の1週間だけ名簿順の席だったため、名簿順の席にかかわりがなかった。男女混合名簿で自分の次が誰だったか全く思い出せない。
――そのとき、背後から木の軋む音がした。
「……!」
恐怖が走り、反射的に後ろを振り向いた。
わずかな月明かりの中、暗闇で動く影は体格、髪型から男子だと判断できた。
杏からすれば、状況は最悪だった。
男子相手に勝ち目などない。早くも、最悪の事態を想像し始める。だが――
「杏?」
そう、杏を呼ぶ声がした。
聞き覚えのある声――聞きなれた声に、杏はすぐさま反応する。
「と、冬也?」
「おう、そんなところで何やってんの? 俺のこと、待っててくれたわけ?」
その声は、プログラム下とは思えないほど軽い。
「え……私の次って、冬也?」
知らなかった。学校では1度しか近隣の席になったことがなく、それも3ヶ月以上前の話。出席番号が次の人など覚えているはずもなく――……だが、次の人物が冬也で杏は安堵していた。
「じゃ、行くか? な?」
そう言って冬也は杏に手を差し伸べた。
「うん……!」
冬也に手を引かれ、杏が当初向かおうとした方向へ歩き出す。だが、膝に刺すような痛みが走り、杏は足を止めた。
「どうした?」
「あ、えと……さっき足、怪我しちゃって……」
そう言って、膝を少し前に出す。冬也はしゃがんで杏の膝の状態を確認する。
「結構酷いな。一応応急処置ってことでハンカチ巻いとくけど、どこか落ち着ける場所見つけたら手当てしたほうがいいな。でも今は早く逃げたほうがいいから、ちょっとだけ我慢してくれ」
「うん、大丈夫」
そう言葉を交わし、2人は暗い林を歩き始めた。
林の中は明かりがないと何も見えない状態で、冬也が懐中電灯で手前を照らしながらゆっくりと歩く。
「……杏、大丈夫か?」
冬也が心配そうに杏を見る。長い距離を怪我したまま歩いて来たため、実は無理をしているのではないかと心配になったのだ。
「あ、うん。全然平気」
“全然”と言うのは嘘だろうが、杏も杏なりに頑張って歩いてきていたようだ。冬也は了解を得て、再び歩き始める。
そうして、2人はまた暗い闇の中を何度も木々に絡まりながら歩き続けた。ただでさえ視界が悪い林の中、木々が折り重なり最早月明かりさえも通らない絶対の暗闇が支配している。 暗闇の世界というのはこの空間のことを言うのだろう。足元すら見えない空間を2人は歩く。
……光が届かない世界だが、前方から漏れるようなわずかな光を知覚できた。
それは本当にわずかな明かりだったが、光の方向に光源となる“何か”が存在していることを示していた。
「冬也、明かりが……」
「行ってみるか、ちょうど安全な場所探してたところだしな」
そう冬也が言った。杏も冬也についていく姿勢を見せ、明かりの方向へと進んでいった。
そして、2人が林を抜けたとき、そこには闇の中に聳え立つ巨大な建物が2人を出迎えた。



残り43人





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